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- 2019.09.21 Saturday
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昨日見付けた産経の記事にやっとこういう声が上がったかとホッとした。
日本にいる者なら誰でも分かることだ。北朝鮮=金一族でもないし、朝鮮民族=金一族でもない。だからこそ、私は自由に祖国に思いを致せる在日朝鮮人 の中から真の愛国者(国=北朝鮮)、真の朝鮮民族に誇りと忠誠を誓う者の出現を待っているのである。私は北朝鮮と在日北朝鮮人に対して激しく非難することがあ る。それは朝鮮民族に本当の誇りを持って欲しいからだ。そして朝鮮民族の持つ文明と文化で世界の生成発展に寄与して欲しいからだ。我々も誇りある日本国民 として真の日本文明と文化により民族と国家と自己の覚醒を促し世界の生成発展に寄与しなければならないのである。日本国民と在日の北朝鮮国民は誇りある人間同士として交際しなければならない。
他国民の拉致など人間としての恥であって誇りある民族のなすことではない。参政権の要求などは在日朝鮮人はいったいどこの国民かと疑う。北朝鮮に忠誠と誇りを持つ人間 が他国に参政権を要求するのは心根が腐っているからだ。ましてや朝鮮総連は北朝鮮国会に議員を送っているのだ。朝鮮学校の無償化も同じ。国民同胞の教育は国と民族の未来がかかっている。その教育に他国の資金を 使うのか。しかも他国政府に「よこすべきだ」の上から目線の要求だ。そしてそこに学生を巻き込んでいる。そのような卑しき心から誇りある魂が育つはずがない。外国人の教育に日本政府が金を出すことには賛成だ。日本の文明と歴史を正しく理解してもらうための教育には金を出すべき。併し、日本国において日本国民と共に暮らす人間でありながら、日本国の文明と歴史に対する理解を拒否する朝鮮総連の影響下にある朝鮮学校に支援してはならない。この世界を愛と真実により平等世界を建設するのは世界の人々の努めである。それは各国各民族が自分らしく生きていける世界のために、人類の未来のための必要な土台作りである。だからこそ他人を敬わない、自己に対する真実の誇り無き人間を作ることに手を貸してはならない。拉致問題が無 くても地方自治体が今の状況で在日の北朝鮮国民の子弟教育に金を出すことは人間として間違っている。
朝鮮総連内部からこの様な叛旗の声が揚がるのは人間として当然だと考える。しかし、遅すぎるし、少なすぎる。
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2015.12.9 01:00更新
【朝鮮総連の闇】
許宗萬議長ら執行部に反旗
「共和国に堂々とおかしいと言うべきだ!」
筋金入りの元活動家が覚悟を決めた理由は…
http://www.sankei.com/premium/…/151206/prm1512060030-n1.html
(1/7ページ)
今年3月、自宅が家宅捜索された際の朝鮮総連の許宗萬議長(三尾郁恵撮影)
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)トップに宛て、日本人拉致被害者全員の解放や、金日成(キム・イルソン)、金正日(ジョンイル)父子の肖像画撤去を求 めた提言書を突き付けた男性がいる。裏活動にも携わった筋金入りの元活動家でありながら数十年間、疑問を秘め続けたという彼を、無謀ともいえる執行部への 「反旗」に突き動かしたものは何だったのか。北朝鮮の独裁体制に取り込まれてきた組織内で、誰もが堂々、「おかしいことをおかしいと言える」日は果たして 訪れるのか。(桜井紀雄)
ヘイトスピーチ、まず抗議すべきは北朝鮮に対してだ
「朝鮮総連は、朝鮮学校の生徒らにヘイトスピーチを行う連中に抗議しているが、それより前に本国に対して抗議すべきだ」
産経新聞の取材にこう話すのは、東京都内で電気通信関連の自営業を営む高忠義(コ・チュンウィ)さん(70)だ。最近、朝鮮総連執行部に対して行動を起こすまで傘下の商工会員の一人だった。
金日成、金正日父子を偶像化し、「嘘を教え続ける」ことを朝鮮学校に強い、生徒らへの偏見の元凶となっている北朝鮮に対してこそ、真っ先に文句を言うべきだというのだ。
そうして初めて「ヘイトスピーチへの抗議に説得力が出る」。
若いころに私財をなげうち、朝鮮総連の活動に身をささげた。1970年代には、広島で活動し、徐萬述(ソ・マンスル)前議長の運転手を務めたり、現地の宣伝部長を担ったりした時期もあった。
故郷訪問と称して訪韓した際に、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を批判する演説を行い、物議を醸した。東京に移ってからは、若者らを組織に取り込む裏活動にも従事した。
だが、80年代以降は表立った組織活動からは身を引いていた。
そんな高さんが今年10月18日に東京で開催された商工会の70周年式典の最中、会場で「提言書」を配布するという“暴挙”に出た。文書の大半は主催者側に即座に回収されたが、提言書は許宗萬(ホ・ジョンマン)議長に宛て本部にも送り届けた。
さらには、在日韓国人組織の在日本大韓民国民団の機関紙「民団新聞」にも同じ提言書を送付すると、同紙は11月11付紙面で提言内容を大きく掲載した。 朝鮮総連と敵対しているともいえる民団の機関紙が取り上げたこともあり、関係者によると、朝鮮総連内部でも「騒ぎとなっている」という。
「人質」「下請け」…くさびを断ち切る5つの提言
5項目からなる提言では、最初に「金日成、金正日の肖像画を全ての機関から撤収すること」を挙げている。現在の金正恩(ジョンウン)第1書記への世襲に つながる金一族への崇拝を朝鮮学校の子供たちにも教え込み、北朝鮮独裁体制への従属を次の世代に引き継がせている最大の象徴だからだ。
次に「日本人拉致被害者全員の解放、および帰国同胞と日本人配偶者の自由往来の実現」を掲げた。
北朝鮮を「地上の楽園」とうたった60年代を中心とした在日朝鮮人とその家族の帰国事業では、10万人近くが北朝鮮に渡ったとされる。日本に残った在日 朝鮮人らは、親戚がいわば「人質」として北朝鮮に留め置かれているため、本国に資金を送り続けなければならないうえ、本国の指示にも刃向かえない“くび き”となっている。
3つ目には「総連組織綱領に、結成時の八大綱領にあった核兵器禁止項目の復活」を挙げる。高さんは、結成当初、核兵器開発への反対を掲げていたはずの組織が、本国が推進する核ミサイル開発を黙認するばかりか、「下請け」に成り下がっていると憂える。
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「朝銀を通じて消えてしまった在日同胞の莫大(ばくだい)な財産の行方と、その責任を明らかにする」ことも求めた。朝鮮総連の影響下にあり、経営破綻し た信用組合を通じて巨額の資金が北朝鮮に渡り、独裁体制を潤したといわれる。その「上納」に最大の“貢献”を果たしたとされるのが現トップの許宗萬氏だ。
最後に掲げたのが「組織幹部は朝鮮労働党の党籍を離脱すること、または党員でないものが就任すること」だ。高さんは「党員が党の指示に従うのは当然だからです」との注釈も加えている。
許氏自身、北朝鮮の国会に当たる最高人民会議の代議員だ。この条件が、組織構造からして本国への従属関係にメスを加えるものだが、現執行部の解体を迫ることを意味し、組織側が最ものめない提言だろう。
元教授の兄「総連をつぶす気か!」
高さんは、何も朝鮮総連の解体を求めているわけではない。提言書の冒頭にも、「国交のない朝日両政府のほとんど唯一ともいえるパイプとしての役割は貴重なもの」と記している。
だからこそ、「共和国(北朝鮮)の言いなりになる下部組織」ではなく、日本で生まれ育った「在日同胞の代弁者として、堂々と共和国政府におかしいことはおかしいと指摘」する組織に生まれ変われと主張しているのだ。
式典で提言書を配布するという行動に出た後、高さんは幹部から事実上の除名を告げられた。
朝鮮大学校元教授の兄には提言文の校閲を頼んだ。そのときは何も言わなかったが、騒動後に幹部に呼び出されたようで、酔った勢いでこう罵倒された。
「兄でも弟でもない。お前は総連をつぶす気か!」
組織側の強い反発を招くのは目に見えていた。それでも、行動に出た理由は何か。数十年間抱き続けてきた思いについても提言書に切々とつづっている。
組織活動に身を投じて早々に「矛盾」にぶつかった。読破した『金日成著作選集』には、能力も資質もないのに地位を得た者を非難するのに「偶然分子」という言葉が使われていた。
これを目にしたとき、「おい、おい、あなた(金日成)が最大の偶然分子ではありませんか」と思ったという。
あらゆる面で行き詰まった現在の北朝鮮にしたのは「自分の生存中に銅像を建てさせ、肖像画を普及させ、世襲までした金日成の罪が重い」とも指摘する。
《金日成氏は、ほとんどの分野で素人であるにもかかわらず、全国津々浦々「現地指導」の名のもとに、自分が言った方法でしか仕事をできなくしてしまった。罪深いことに、全国を回ってむちゃくちゃにしていった。自分の地位を守るために…》
北朝鮮の惨状は「CGで作った」でっち上げ映像?
広島での活動時代、個人崇拝の弊害を実体験する。在日の女子高生の一人が自分の指導の下、文化祭で友人らとチマ・チョゴリを着て朝鮮舞踊を披露したことがあった。
これを北朝鮮の新聞も取り上げたが、「非常に感激した学父兄たちは一斉に立ち上がり、涙を流しながら金日成元帥万歳と叫んだ」とありもしない描写が加えれていた。
自身が韓国で演説した際も、朝鮮総連は「ある愛国青年が、ソウルの各界名士の前で金日成元帥万歳と叫んだ」と言ってもいない礼賛を捏造(ねつぞう)して宣伝に利用した。
若き活動家だった当時から北朝鮮に盲従する組織に疑問を感じてきたが、「言いたくても、言えなかった」。朝鮮総連の要職を務める親族もおり、周囲が皆、何らかの形で組織とかかわっているというしがらみゆえだろう。
「何十年も鬱積(うっせき)した思いを、いつもいつも抱き続け、最近は拉致被害者のニュースを見るたびに、その思いが浮かんできた」という。
最近、決定的な一言を組織の女性から聞かされた。テレビが映し出す北朝鮮の悲惨な実情について、女性は「今の時代、CG(コンピューターグラフィックス)で何とでも映像を作れる」と言い放ったのだ。
事ここに至って、出席する式典があるという機会を捉え、実行に移した。「長い年月がかかったが、今だから、やっと言えた」
提言書で《おかしいことをおかしいと言えないのはどうしてですか? それは自分がかわいいからです。それによって、多くの人民が苦しんでいようが関係なく、自分がかわいいのです》との言葉を執行部に突き付けている。
続けて《私自身若いころ、それを感じながらも決定的には指摘できませんでした。その自戒を込めてこの提言書を書いています》とも打ち明けている。
016.1.22 17:52更新
北の人権侵害「金正恩氏に政治的責任」
国連の特別報告者が明言
http://www.sankei.com/affairs/…/160122/afr1601220035-n1.html
記者会見する国連のマルズキ・ダルスマン北朝鮮人権状況特別報告者=22日、東京都渋谷区の国連大学
拉致問題を含む北朝鮮の人権侵害について調べている国連のマルズキ・ダルスマン北朝鮮人権状況特別報告者が22日、東京都渋谷区の国連大学で記者会見し、「金正恩(キムジョンウン)氏の責任の範囲は具体的には政治責任ということになる」と述べた。
会見で、ダルスマン氏は「北朝鮮に人権改善を促す政治的圧力も継続すべきだが、今こそ北朝鮮指導者たちの刑事的責任も追及されなければならない」と説 明。金正恩第1書記も人権侵害の当事者として、「当事者ということは人権侵害をとめるためのステップを早急に金正恩氏として取らないと、金正恩氏本人も責 任追及される流れになる」と話した。
ダルスマン氏は18日に来日。北朝鮮による拉致被害者の家族や加藤勝信拉致問題担当相らと面会し、意見を聞いた。ダルスマン氏は3月に国連人権理事会に報告書を提出する予定。
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2016.1.21 13:05更新
【北朝鮮拉致】
「ありもしない拉致問題を浮き彫り」「日本は前代未聞の犯罪国家」北朝鮮が国連報告者の責任追及に反発
http://www.sankei.com/wor…/news/160121/wor1601210037-n1.html
北朝鮮の韓国向け宣伝ウェブサイト「わが民族同士」は21日、国連のダルスマン特別報告者が訪日し日本人拉致問題で北朝鮮の責任を追及すると発言したこ となどについて「ありもしない拉致問題を浮き彫りにし、消えかかる反共和国(北朝鮮)人権謀略騒動の火を再び付ける目的だ」と反発する論評を掲載した。
論評は、戦時中の朝鮮人労働者の徴用や慰安婦問題に言及。「日本という前代未聞の犯罪国家で、日本ではない他の誰かに拉致だの責任だのとレッテルを貼るのは荒唐無稽だ」と主張した。(共同)
2015.8.16 18:00更新
【北朝鮮拉致】
なぜ群馬なのか 辛光洙工作員、活動空白期の生活
(1/3ページ)
http://www.sankei.com/wor…/news/150816/wor1508160003-n1.html
辛光洙(シン・グァンス)という名前の北朝鮮工作員がいる。地村保志さん(60)と妻の富貴恵さん(60)、原敕晁さん(79)=拉致当時(43)=を 拉致した疑いがあるとして、日本の捜査当局が国際手配している容疑者だ。1970年代から80年代にかけ、日本各地を転々とし、工作活動を進めていた辛容 疑者には、群馬県に潜伏していた時期があった。その時期に辛容疑者が何をしていたかは明らかになっていないが、拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査 会」が7月に実施した調査からは、群馬が北朝鮮の工作活動の“中継点”としての役割を果たしていた可能性も浮かび上がる。
日本生まれ、朝鮮戦争にも参加
辛容疑者は1985(昭和60)年2月、韓国で国家保安法違反の疑いで逮捕され、その後ソウル地裁で死刑判決を受けた。
その判決文によると、1929年に静岡県で生まれた辛容疑者は戦後、朝鮮半島に渡り、朝鮮戦争に参加。71年に北朝鮮工作員として選抜される。
73年7月、辛容疑者は石川県から密入国。工作員として生まれ故郷である日本の土を再び踏んだ。その後は日本各地で協力者を獲得し、工作活動を進める。そして北朝鮮本国で拉致指令を受け、80年6月に原さんを北朝鮮に連れ去った。
辛容疑者が群馬県に潜伏したのは、原さん拉致事件から2年後の82年11月。最初は高崎市内にあるパチンコ店の従業員として偽装就職。店舗の2階にある従業員宿舎に居を定めた。
83年5月に北朝鮮に戻るため、群馬から離れたが、同年11月に再び来日すると、同じパチンコ店に再度就職を果たし、翌年には前橋市にあるパチンコ店で働き始めた。
群馬での動きは不明
調査会は7月24日、辛容疑者が潜伏していた高崎市と前橋市のパチンコ店を訪れた。現在、前橋市のパチンコ店はそのまま残っているが、高崎市のパチンコ店はスーパーマーケットとなっていた。
辛容疑者は群馬で何をしていたのか。韓国での判決文では、ほかの多くの地域にいる間は何をしようとしていたのか、はっきり記されている。例えば、大阪に 滞在していた時代には、原さん拉致に向けた準備を進めていた。東京にいた際には、在日朝鮮人の協力者の獲得活動を進めたり、韓国の軍事情報を入手するため の工作をしていたことが書かれている。
だが、群馬県に潜伏していた時代に、辛容疑者が何をしていたかは謎に包まれている。潜伏先を群馬に持っていたことが記されているだけだ。
太平洋側と新潟を結ぶ「大町ルート」の存在
調査会の荒木和博代表は「前橋と高崎のパチンコ店に辛光洙がいたのに、何の意味もないはずがない。この辺りに何かあってもおかしくはない」と指摘し、群馬県の地域的な特徴に注目する。
群馬県は新潟県に接している。新潟県からは横田めぐみさん(50)=拉致当時(13)=ら5人の政府認定拉致被害者が北朝鮮に連れ去られているほか、かつて北朝鮮と日本を結んでいた貨客船「万景峰(マンギョンボン)号」の寄港地となっていた。
さらに特定失踪者をめぐり、新潟と太平洋側に面した「大町ルート」と呼ばれる経路の存在が指摘されている。昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅を出たまま行方不明になった藤田進さん(59)=失踪当時(19)=について、平成16年に調査会に情報提供があった。
情報を提供した男性は「藤田さんの監禁先だった千葉県内から、車で(新潟県の)糸魚川まで運んだ」と話したという。千葉県から東京都、埼玉県、山梨県、長野県を経て新潟県へと抜ける「大町ルート」上では、特定失踪者の行方不明事件が頻発している。
群馬県が「大町ルート」とは別の、太平洋側と日本海側を結ぶルートになっていた可能性があるのではないか。荒木代表は「大町ルートとは別に新潟へと抜けるルートとして、群馬県に拉致や工作活動の拠点があってもおかしくはない」とみている。
辛容疑者は現在86歳。韓国で死刑判決を受けた後、恩赦で解放され、2000(平成12)年に北朝鮮に送還された。08年9月に北朝鮮の建国60周年記念の閲兵式を報じる朝鮮中央放送のニュース映像に映っているのが確認されてから、その後の消息は分かっていない。
ニッポン放送(AMラジオ)の番組『ザ・ボイス そこまで言うか!』のニュース解説コーナー(6月15日放送)において、14日の拉致集会が紹介されました。
(拉致問題への言及は20:00から)
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同番組のコメンテーターを務める勝谷誠彦氏(コラムニスト)はニュース紹介を受けて、
「未だに日本にインテリジェンス(諜報)機関がないので交渉もできない。拉致問題が発覚してから(諜報機関を)作る余裕はあったのにそうしなかったのは、日本政府の怠慢と言われても仕方ない。政権交代しても拉致問題担当大臣は替えない、などの方策もありえた。家族も、拉致被害者も歳を取り、年齢によって亡くなったと北朝鮮が言いやすくなっている。返さないんだったら日本も特殊部隊を送り込むぞ、という体制がないと(交渉の)意味がない。そういう時期が来ている。安保法制が議論されているが、現憲法下でも拉致被害者は取り戻すことができる。(自衛隊の)部隊を送り込んで拉致被害者を奪還しても、憲法9条には触れない。安倍政権になって進展すると思ったが、家族も残念な気持ちになっているのではないか」
などと述べています。