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    めぐみさん事件「情報はゴミ箱に捨てられた」

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      【再び、拉致を追う 第10部 明日への提言(中)】


      めぐみさん事件「情報はゴミ箱に捨てられた」
       

      拉致解決3つの提言


       韓国の情報機関、国家安全企画部の幹部は1995(平成7)年初頭、自分のもとに入った情報に耳を疑った。

       「北朝鮮が日本人の女子中学生を拉致している」


        後に横田めぐみさん=拉致当時(13)=と判明する少女に関する情報だった。「拉致実行は77年か78年。少女は双子。バドミントンを所持している」。幹 部は日本の警察庁に非公式に伝えた。だが、日本が動き出した様子はなかった。「情報はゴミ箱に捨てられたと思った」。幹部はこう振り返る。

        平成7年6月。大阪の朝日放送プロデューサーだった石高健次氏はソウルでこの拉致情報を入手した。北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者 (84)=国外移送目的略取容疑で国際手配=による原敕晁(ただあき)さん=拉致当時(43)=の拉致事件を取材している途中だった。

       石高氏は原さん拉致事件の現場の宮崎県など九州をしらみつぶしに調べたが、少女の情報に行き着けなかった。報道すべきなのか。石高氏は迷ったという。

       

       「世の中は“北朝鮮による拉致”などまったく信用していなかった。少女拉致などと言ったら、(既に報道されていた)他の拉致事件まで否定されるかもしれないと思った」

        北朝鮮による日本人拉致疑惑は昭和55(1980)年、産経新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」として初めて報じた。62年の大韓航空機爆破事件では、逮捕 された金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(51)が拉致被害者の「李恩恵」の存在を証言。63年には、梶山静六国家公安委員長(当時)がアベック3組失踪 を「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と政府として認めた。それでもマスコミなどで大きく取り上げられることはなかった。

       平成8年秋。石高氏は専門誌「現代コリア」誌上に「中学生少女拉致情報」を書いた。これを読んだ同誌元編集長の佐藤勝巳氏が、たまたま訪れた新潟の講演会で紹介した。聴衆の新潟県警の警察官から声が上がった。「それは横田めぐみちゃんだ!」

       めぐみさんの両親は娘の身を案じながら、苦悩の末に、報道の際の実名公表を決断。社会に衝撃を与え、世論が大きく動き出した。

       ◆日本は黄金の猟場

       北朝鮮の故金日成(イルソン)主席は半世紀前、「日本は黄金の猟場だ」と言ったという(金東赫(トンヒョク)著『金日成の秘密教示』)。欲しいものは何でも手に入るという意味だ。

        それを裏付けるような話には事欠かない。国家転覆陰謀罪で今月12日に処刑された張成沢(チャン・ソンテク)前国防副委員長は1991年、「李民」という 偽名で成田から入国、工場見学の名目で全国各地を自由に訪問した。張氏粛清の主導者とされる崔竜海(チェ・リョンヘ)軍総政治局長は90年代に娘を日本に 送り、顔のアザ治療を受けさせている。

       彼らを日本で出迎えて支援するのは在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)だ。その総連に対し、スパイ疑惑で日本の捜査が及びかけたことが一度だけある。

       通称「零余子(むかご)事件」。平成2年5月、警視庁が詐欺容疑で総連最高幹部宅の捜索令状を取った。零余子は山芋などの球状の芽。いずれ大きな山芋にたどりつくと関係者が名を付けた。

       容疑は詐欺だが、本命は最高幹部のスパイ行為。「李恩恵」と呼ばれた田口八重子さん=拉致当時(22)=拉致事件に絡み、「関係する証拠が見つかる可能性もあった」(警視庁OB)。

       ところが、捜索は直前になって突然中止。理由は言及されていない。日朝国交正常化に野心的だった金丸信元自民党副総裁率いる訪朝団出発の直前だった。歴史的、地政学的な因縁を引きずる北朝鮮に対し、日本の無防備な時代は長かった。

       

       ◆世論と圧力と好機

       拉致事件の解決に何が必要なのか。「救う会」の西岡力会長は3つの要件を挙げている。

       「まず世論がなければ動かない。そのことはめぐみさん事件で証明された。世論が動いてはじめて拉致問題が国政の最優先課題になった。そして政府に体制ができた。拉致問題対策本部ができたのは18年、第1次安倍政権だった」

        2番目は「北朝鮮への圧力と国際連帯」。北朝鮮が交渉に出てこざるをえない状況に追い込む必要があるという。14年の小泉純一郎首相(当時)訪朝は、米 ブッシュ政権の「悪の枢軸」発言やイラク戦争開戦前夜の「次は北朝鮮」というムードに対する恐怖が北朝鮮の対日接近を誘った。

       そして3番目は「北朝鮮混乱時に拉致被害者を救う方策だ」。張成沢粛清は、北朝鮮ではいつ何が起きても不思議でないことを世界に知らしめた。

       「事態は動き出したと思っている。チャンスとリスクは半々だ。私たちは、今度こそ勝つ闘いをしなくてはならない」




       


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