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    家族の思い(24)  飯塚繁雄さん

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      【再会の日へ(1)北の暗部「知りすぎた被害者」】

      「生きている妹に会いたい」 田口さんの兄、飯塚繁雄さん

      2014.8.27 06:00

      http://sankei.jp.msn.com/world/news/140827/kor14082706000004-n1.htm




      〔画像1〕拉致被害者救出を訴える署名活動を行う飯塚繁雄さん=横浜市中区のJR桜木町駅前(松岡朋枝撮影)



      「生きている田口八重子に会いたい」。北朝鮮による拉致被害者らの再調査が決まってから、田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん(76)はこう口にするようになった。

      5月ごろ、田口さんが肝臓の病気で入院しているという情報が寄せられた。田口さんが生存していることを示す情報だが、心が休まることはない。「北朝鮮では満足な治療を受けることもできないだろう」と不安ばかりが募る。

      両親はすでに他界し、昨年は田口さんの姉、今年5月には兄が相次いで亡くなった。田口さんの健康と帰国を待つ家族の高齢化を考えると、「早く助け出さなければ」と、はやる気持ちを抑えきれなくなる。

      拉致から36年が経過し、田口さんは8月10日で59歳になった。美人と評判だった22歳の妹の写真をながめ、「いま、どんな顔をしているんだろう」と考える。助け出せない罪悪感からその写真を見つめることすらつらくなったという。

      今年7月、埼玉県議会で開かれた講演会で、飯塚さんは北朝鮮で救出を待つ田口さんに語りかけるように心境を吐露した。

      「もう少しだからがんばって」


      _______________________________________________________________________


      【再会の日へ(1)北の暗部「知りすぎた被害者」】

      田口八重子さん 金総書記のパーティーに出席

      2014.8.27 06:00 (1/2ページ)


      http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140827/crm14082706000001-n1.htm



      〔画像2〕田口八重子さん


      「私には子供が2人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、帰してほしい」。昭和53年6月、2人の子供を東京・高田馬場のベビーホテルに預けたまま、拉致された田口八重子さんは北朝鮮に到着直後、そう懇願した。

      田口さんと53年9月から翌年11月まで一緒に生活した地村富貴恵さんが、田口さんから聞いた話として証言している。

      ほかの拉致被害者と同じく、2人の生活も厳しい監視の目にさらされていた。日本の歌をカセットに吹き込んだのがばれ、指導員に怒られたり、近くに散歩に出かけたのをとがめられたりしたこともあった。

      管理された生活の中でも、田口さんは思いつめるように、日本への帰国を考えていた。富貴恵さんに「工作員になってでも日本に戻りたい」と伝えたこともある。工作員になれば、海外で活動できるため、日本に行くチャンスがあるかもしれないと考えたのだろう。

      だが、工作員になることはできず、皮肉なことに工作員の教育を担当するようになる。富貴恵さんと離れた後、田口さんは56年7月から58年3月まで、金賢姫元工作員と生活をともにしながら、日本語や日本の生活習慣を教えた。金元工作員には「李(リ)恩恵(ウネ)」と名乗っていた。




      59年からは横田めぐみさんと一緒に生活。同じ集落には富貴恵さんも生活していた。富貴恵さんにはともに拉致された夫の保志さんとの間に子供がおり、田口さんは「子供たちを思い出す」と話し、富貴恵さんの子供をとてもかわいがったという。

      帰国した被害者の証言によると、田口さんがその集落で生活したのは61年まで。富貴恵さんは別れる前、「違う招待所に行くかもしれない。そこに行ったらもう会えないかもしれない」と田口さんから聞かされたという。

      北朝鮮の説明では、その年の7月、「軍部隊の車と衝突して死亡」とされた。めぐみさんと同じく、ほかの被害者の目の届かない場所に移った直後の不審な「死亡」だったが、その後も生存しているという情報は複数存在している。

      田口さんも、テロ実行犯の金賢姫元工作員を直接知っているほかに、金正日総書記の“秘密”にも触れていた。その様子は金元工作員の著書に記されている。

      金元工作員と一緒に暮らしていた田口さんはあるとき、金総書記の誕生日パーティーに出席したときの様子を打ち明けた。その席では、参加者がわいせつな遊びに興じていたという。

      その話をした直後、田口さんは、必死で金元工作員に口止めしたという。北朝鮮で神格化されている最高権力者の恥部を垣間見た田口さんもまた、「知りすぎた被害者」だった。

      北朝鮮は田口さんと金元工作員との関係を否定するため、わざわざこう説明している。《李恩恵という日本人女性はいない》。その一文に田口さんを帰せない北朝鮮の意思がはっきりと表れている。



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      【再会の日へ(1)北の暗部「知りすぎた被害者」】

      「結婚」時期に独身… 田口八重子さんめぐる相次ぐ矛盾 「死亡」後に目撃情報聞く

      2014.8.27 06:00

      http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140827/crm14082706000002-n1.htm


      〔画像3〕

      「1986(昭和61)年に死亡した」とされた田口八重子さんに関しても、北朝鮮の説明は矛盾に満ちあふれ、“物証”はいずれも信憑(しんぴょう)性がない。

      田口さんについて、北朝鮮が出してきた“物証”は「死亡確認書」と交通事故の記録。死亡確認書は別の時期、場所で「死亡した」とされたほかの6人と同じ平壌の病院で発行されていた。北朝鮮はその後、「慌てて作ったもので正確でなかった」と釈明した。事故の記録も氏名が書かれておらず、田口さんの記録とは確認できなかった。

      事故現場も怪しかった。日本政府の調査団が撮影した現場の写真を見た田口さんの家族は「道幅は狭く、手押し車が通るだけで精いっぱいの道。車同士の事故が起きるはずがない」と話す。北朝鮮の説明にあるトラックや軍部隊の車が通るスペースはなかった。

      84年10月に原敕晁(ただあき)さん=拉致当時(43)=と結婚したという説明も帰国被害者の証言で、当時独身だったことが分かっている。「死亡した」という時期の後に田口さんを平壌市内で目撃したという情報も帰国被害者が聞いており、「死亡」の情報は信頼性に欠けている。
















       

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