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    全国協議会−国民大集会全記録4

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      ★☆救う会全国協議会ニュース★☆

       

      (2017.04.27)

       

       

      ■国民大集会全記録4-1

       

      ★ 家族の思い−横田めぐみさん(仮題)


      司会(西岡力救う会会長)

      続いて家族会の訴えを行います。まず最初に、今日ここに来ることができなかった家族会前代表の横田滋さんの映像メッセージを見たいと思います。


      ◆めぐみさんへのメッセージ

       

      横田滋(家族会前代表、横田めぐみさん父)

       

      めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で、かならず解放されると信じて、今めぐみが隣の部屋で、待っているようなと、同じような感じがします。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気を付けていてください。もうほんのわずかですから、がんばってください。

       

      ◆家族が頑張るのではなく、我々が、国が頑張るべき

       

      司会 私は少し反省をしています。我々はこの間20年間運動をしてきましたが、家族の人を先頭に立てすぎたのではないだろうか。ある集会に行きますと、家族会の人に「頑張ってください」という声がかかります。

       

      そうではないはずです。今滋さんがおっしゃっていましたが、向こうにいる被害者に、「もう少しですよ、頑張ってください」と日本語で言わなければならないんです。そして、助け出すのは家族ではなく、日本国政府、日本国国会、日本国の国民が一体になって助け出さなければならない。家族が助けようとしているのを我々が助けるのではない。

       

      しかし、横田滋さんは、どこに呼ばれても行く。もう手帳がまっ黒でした。今あれだけしかしゃべれないようになられたのは、歳相応の老いではない。自分の身をすり減らして、ここにも来れないような身体になられた。

       

      しかし、それでよかったのか。家族が身をすり減らさなければならないような運動を我々がしてきたとしたら、反省しなければならない。日本人が日本人を助ける。「家族の人たちは安心して待ってください」と言えるような。

       

      そして何よりも、家族がいない人たちも助けなければいけないんです。これから家族の訴えを聞いていただきますが、想像力を、その家族ではなく、向こうにいる人たち、被害者の人たちがこの瞬間どう思っているのかというところまで想像力を働かせて、「もうちょっとですよ」と先ほど滋さんが言った声を届けようではありませんか。

       

      家族会の人たちにお話をしていただきますが、その間被害者の写真をスクリーンに出します。

       

      まず横田めぐみさんですが、私がまず人となりについて少しだけ言います。滋さんの思い出です。

       

      めぐみは東京オリンピックが始まる昭和39年10月5日、名古屋で生まれました。非常に大きく、金太郎さんのような女の子でした。小さい時から本が大好きで、童話の本を読み聞かせるとすぐに覚えてしまいました。

       

      小学校6年1学期が終了した時、新潟に転校になりました。2学期からでしたが、その年図書館から借りた冊数が学年で一番で、少女小説からスリラーまで、何でも読んでいました。

       

      帰国被害者が語る北朝鮮でのめぐみさんです。

       

      ずっと日本に帰りたいとの思いを持ち続け、紙に弟さんの名前を繰り返し書いていた。希望を持つとここでは生きていけないと、ここでは希望を捨てることを話した。

       

      本が好きで、歌が好きで、双子の弟たちが大好きだっためぐみさんが13歳で拉致されて、今52歳です。横田家のみなさんお願いいたします。


      ◆甘さを残したまま、この国が流れていくのではないか

       

      (横田めぐみさんの映像がスクリーンに、各被害者も以下同じ)

       

      横田早紀江(横田めぐみさん母)

       

      今日はたくさんの方がお集まりくださり、ありがとうございます。

       

      今主人の映像を見ていただきましたが、食事も食べて、歩くこともできています。なんでこんなに話せなくなったんだろうと、自分でそういうことは言えるんですが、こういう所で話すとぜんぜん声が出てこない。ここまで言葉がでているのに、声が出ないといいうような状況で、そして出て来れないという状況です。見ていても気の毒で、私たちも疲れていますが、皆様にくれぐれも宜しくと言っていました。ありがとうございます。

       

      今まで皆様方の話を伺い、安倍総理を初め議連の先生方、知事さん、地方議連の方々、本当にたくさんの方々が支えてくださいまして、本当に考えられないほどの大きなうねりとなって、今世界中を巻き込んで北朝鮮の姿がはっきりとした形で現れてきました。

       

      そのような恐ろしいところに、まだ捕らわれたままで帰って来られない。最優先としてという言葉は当然のことであって、これは隣国の指導者が指令を出して、工作員をたくさん送り込んで、たくさんの若者を連れてきなさいと命令を出したのは、めぐみたちがいなくなった前の年だと聞いています。

       

      それから次々とたくさんの人たちが連れ去られて、今の5人の方と家族以外は、まだどこにいるのか影さえも見えない。色々な情報とか噂とか、変な本とか、私たちがびっくりするようなことが書かれているものとか色々ありますが、そんなものに私たちは全然めげておりません。

       

      そしてこれは、先ほど松田さんがおっしゃいましたように、本当に国家の問題であって、たまたま私たちの子どもたちが、特定失踪者の方もそうですが、そこで遭遇したのかどうなったのか分かりませんが、捕まえられて連れて行かれたままです。

      そしてあちらで教育されて、その国のために働かされているような人生に変えられてしまっているということなんです。どの方のお子さんだったかは、その瞬間で違っていたかもしれない。これは国家の中の大きな、屈辱的な問題なんです。

       

      だからこれは犯罪があったまま何もできない40年間は国家の恥だと私は思います(拍手)。絶対にこれは誰がやってもいけないことであって、これをこのままに解決ができなかった時に、「ああやっぱり日本は何もできないね」ということを向こうにイメージづけるだけに終わってしまえば、また次の子どもたちがどういう形でどういう目にあうか分からないという甘さを残したまま、この国が流れていくのではないかな、と。

       

      私はめぐみちゃんのこともかわいそうですが、そんな時期はもう過ぎました。本当に悔しくて、またあの国家はいままたあんなことをやっています。今後はこれをどのような形で、よほどにいい知恵を出し合わなければ。

       

      そして暴発が起きたり、色んなことをできないようにしながら、よい説得ができれば、世界中が声を出して、「そちらももっと世界に出てきてください。世界中の総理大臣と同じようにあなたも出てきてください。みんなと仲良く話しませんか」という形でですね。

       

      そして「本当のことが話し合える状況になりませんか」というよいメッセージも出していただいて、効くかどうかそれはやってみなければ分かりませんので、色々な方法で全力を投球して、国家の恥を絶対にさらけ出さないように頑張っていただきたいと思います。

       

      それまでどうぞ子どもたち全部が、あちらの国で、本当に天の意志で守られるように私は祈っています。どうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。

       

      司会 続いて田口八重子さんです。飯塚繁雄さんの思い出です。

       

       

       

       

      ★ 家族の思い−田口八重子さん(仮題)


      飯塚繁雄(田口八重子さん兄)

       

      私たちは7人兄弟で、八重子は一番下の妹です。一番八重子を可愛がっていたのは親父でした。いつもひざの上にだっこしていました。

       

      「自分の手で子どもを育てていく」と強い姿勢で、一人でアパートを借りて生活を営んでいました。当時私たちのところに妹が来て、「子どもを預かってくれ」ということがありました。「妻が家で子どもの面倒を見るから昼間の仕事につきなさい」と意見したこともありました。

       

      北朝鮮で一緒に暮らしたことのある地村富貴恵さんは、こう言っています。

       

      八重ちゃんの思いは最初から最後まで子どものことでいっぱいでした。子どものことを話してくれるのですが、すごく辛そうに話すのです。私はどう声をかけたらよいのか分からなかったのです。

       

      自分は末っ子なのでみんなが大事にしてくれたことを教えてくれました。特に「上のお兄さんには、子どもを見てもらったりして、とてもありがたかった」と言っていました。正確にはお兄さんの奥様に感謝していたようです。考えてみて、一層有難味がわかったようでした。

       

      末っ子としてお父さんに愛され、母として二人の子どもを愛し、お兄さん夫妻に感謝をしていた八重子さんが、1歳と2歳の子どもを残して22歳で拉致されて、今61歳です。

       


      ◆なんで会えないまま39年も長い間が続いているのか

       

      飯塚耕一郎(田口八重子さん長男)

       

      皆さんこんいちは。本日は皆様ご来場くださいまして誠にありがとうございます。この会が始まる前、どういう形で皆さんにお話しをするかということを西岡先生からご説明いただいたのですが、向こうにいる被害者の人となりや八重子さんへのメッセージをしゃべってほしいと言われました。

       

      隣にいる本間勝に、「人となりなんて僕は分からないから勝さんしゃべってよ」と言ったんですが、正直先ほど早紀江さんがおっしゃっていたような親子、家族という気持ちを、私は八重子さんにはまだ持つことができないということが、本当にはがゆく、悔しい思いです。

       

      今西岡先生から説明された話を聞いた時に、育ての母である飯塚栄子が、2002年9月17日に、「田口八重子死亡」というニュースが流された時に私に言ったひとこと。「耕ちゃんそういうことだからごめんね」と言って泣き崩れた時の悔しい思いが、今改めて自分の胸の中に去来しました。

       

      なんで私は八重子さんと会えないんですかね。なんで会えないまま39年も長い間が続いているんですかね。このことを本当に今真剣に考えなければならない時期だと思います。

       

      トランプ政権が発足してから、半島情勢が近年まれにみる大変なことになっています。核実験の動向があったり、ミサイル発射があったりしています。家族会の代表である飯塚繁雄はよく言っています。有事だろうがそういうことはいっさい関係ない。我々のいとしい家族を、どういうことがあっても救わなければならない。核やミサイル等いっさい関係ない。我々は拉致最優先でいくんだ、と。

       

      先日、宋日昊の話も報道されましたが、色んな揺さぶりがかかっています。でも我々は他の問題にはいっさい目もくれる必要はないと思います。核やミサイル等の揺さぶりが北からかかってくると思います。ですが、そんなことにかまっている時間も必要もありません。我々は拉致被害者を最優先で帰国させることです。報告書なんかいらない。拉致被者を返すんだと、強くみなさんと一緒に北に向けて発信して、我々の家族を返すようにしていきたいと考えています。

       

      だから皆さん、今年は例年以上のご協力と熱い気持ちをいただければと思います。以上です(拍手)。

       

       

       

       

      ★ 家族の思い−有本恵子さん(仮題)


      司会 ありがとうございました。続いて有本恵子さんです。有本嘉代子さんはもうここには来ることができません。心臓の病気です。嘉代子さんのい出です。

       

      とにかくおとなしくて手のかからん子やった。子どもの時からあまり泣かなかった。私が近所まで買い物に出る時、「このおもちゃ持って遊んどくのよ」と言うと、必ず「うん」とうなづいた。まだ言葉がしゃべれない時分だ。家に帰ると本当におもちゃでおとなしく遊んでいた。

       

      恵子は三女だが、家には5人の娘と一人の息子がいる。上の4人までが娘で、5人目が男の子だ。恵子は物心ついてから無理を言わん子だった。幼稚園に迎えに行ってもいつも一番最後から出てくるような子やった。われ先と人をかきわけて前に出てくるどころか、トイレの順番さえ後から来た子に譲ってしまうような園児だった。

       

      園の先生は今でも熱心に救出活動を支援してくれる。「なんであんなおとなしい子が一人でロンドンに留学するようになったんやろなあ」と不思議がって言う。ロンドン留学は自分を変えたかったのかもしれない。だからこそヨーロッパでの仕事の誘いにも積極的に飛びついたんだろう。

       

      自分を変えようと思ってロンドンに行って、23歳で拉致されてしまった恵子さんは今年57歳です。有本さんお願いします。

       

       


      ◆トランプ大統領と北朝鮮の対決を静かに見守ることが大事

       

      有本明弘(有本恵子さん父)

       

      みなさんこんにちは。本日はご来場誠にありがとうございます。

       

      去年の秋の国民大集会では、「来年には拉致問題も少し前にころんでいく」と言いました。本年、アメリカのトランプ大統領の出現により、思わぬところから私たち拉致被害者家族は、助け出すことができると確信を持ちました。それはあの北朝鮮と武力が背景にある交渉ができるからです。

       

      その状況は連日のようにテレビ報道等でご存知の通り、アメリカと北朝鮮との間にできています。

       

      家族会は結成して20年になりますが、拉致はもっと以前に金日成が突然韓国に攻め込んだ朝鮮戦争の時から始まったものです。だから拉致は50年以上も前からあるんです。日本国が知らなかっただけの話です。金正日の時代になり、世界の人たちが知ることになりました。

       

      それでも北朝鮮は、「でっちあげだ」と言って認めようとしない国です。分かりやすく言うと、親子三代にわたって嘘をつきつづけている拉致国家なのです。

       

      北朝鮮の問題は、「一強いアメリカを取り戻す」と言って大統領になったトランプ大統領の初仕事なんです。私は、この状態を大変うれしく思っております。

       

      わが国のマスコミ各社が、北朝鮮に対するアメリカの動きを大きく報道していることは、北朝鮮に対する脅威になるとうれしく思っています。しかし、その報道の中でアメリカの軍事攻撃に北朝鮮が反撃すれば、何十万の人が死ぬという話が出て来ています。

       

      皆様は、これをいますか。私は、こんな話をするマスコミは北朝鮮の代弁者だと思っています。皆さんもそう思ってこれらの話を聞いてください。

       

      これらの話は長い話になるのでここでやめますが、家族会は、北朝鮮の代弁をするようなマスコミの話に迷うことなく、 トランプ大統領と北朝鮮の対決を静かに見守って行くことが大事だと思っています。

       

      分かりやすく言うと、負ける戦をする国の指導者はいないのです。70年前、わが国軍事力はハワイの真珠湾を攻撃しました。ご承知の結果に終わりました。このことを金正恩に伝えなくてはなりません。これを誰がやるのか。先ほどもこの仕事は総理の仕事だと安倍総理に伝えました。以上です(拍手)。

       

       

      ★ 家族の思い−松木薫さん(仮題)


      司会 次に松木薫さんです。斉藤文代さんの思い出。

       

      学生時代の薫はおとなしくて勉強熱心な若者だった。特に語学に力を注いだ。英語の辞書を丸ごと暗記するような学生だった。長崎外国語短大の時にはスペイン語の暗唱大会で優勝した。薫を見込んだ恩師が京都産業大学への編入を勧め、そして大学院に推薦してくれた。将来は自分の後を継いでもらいたいと考えている。ついては大学院に進んで、そしてはくを付ける意味で1年スペインに語学留学するように熱心に勧めてくれた。

       

      ところがスペインに行ってわずかの期間で薫は行方不明になってしまった。責任を感じた恩師はその後、何度も何度も松木家を訪ねてきた。

       

      薫さんは26歳で拉致されましたが、もしも拉致されていなければ、帰ってきて大学でスペイン語を教えていて、63歳でもうそろそろ定年になる。人生の全部を北朝鮮に取られたわけです。斉藤さんお願いします。

       


      ◆結婚を約束した彼女もいたが

       

      斉藤文代(松木薫さん姉)

       

      皆さん、こんにちは。今日はたくさんお出でくださいまして、本当にありがとうございます。

       

      私の弟松木薫はおとなしい子で、5人兄弟の一番末っ子です。上は女ばかりでした。私たちはやんちゃで、いたずらをしても怒らないようなおとなしい子でした。

       

      思い出はたくさんあるんですが、男の子が一番最後に生まれたので父がとても喜んでいたのです。自分の側にいてくれて、仕事もそこから行くというような希望を持っていたようです。

       

      若い時には何でも勉強させてあげたいという父の希望でもあったので、薫はたくさん勉強させてもらったと思うんですが、スペインに行って、いなくなって、父はあっという間になくなりました。布団で母に手をさしのべるように、ぎりぎりのところで何か言いたかったんでしょうが、亡くなりました。ショックだったと思います。

       

      私たち姉妹も、なにか嘘のような、こんなことがあっていいのだろうかというような信じられない日々をずっと送ってきました。熊本ではもう桜が散りましたが、この間熊本でお話させていただいた時に、ちょうど桜の花が咲いている頃でした。

      私の方と自宅の方にはがきが来て、1年間しっかりスペイン語に取り組んでいきたいということと、お父さん、お母さんを宜しくお願いいたしますという言葉が書いてあったのをしっかりと覚えています。

       

      ですから1年経ったら、必ず帰ってきて、結婚を約束した彼女もいましたので、多分結婚して日本の地で静かに生活をしているんじゃないかなあと桜を見ながら考えたところでした。

       

      色々な拉致被害者の家族がいます。それぞれ家の中で苦しい思いをして、家族の帰国を待っています。

       

      日本政府は拉致を最優先としてやってくださると約束をしていますので、私もそれを信じてもう少し頑張っていきたいなという気持ちでいますので、どうか皆様日本政府が裏切らないことを願って、一生懸命やってくださると思いますので、今年中に解決ができて家族がみなさん帰ってこられたら、本当に笑顔でお礼が言えると思いますので、どうかその日がくるまで応援を宜しくお願いいたします。

       

      熊本から東京に来た時にはいい便りをもって熊本に帰りたいという気持ちで、毎回上京していますので、どうぞこれからも宜しくお願いいたします。ありがとうございます(拍手)。


      司会 先日聞いたんですが、薫さんには許嫁がいて、いなくなった後も10年間、ずっと待っていてくださった。帰ってきたら結婚、そして大学の先生になっていたその人生が曲げられてしまったということです。

      続いて増元るみ子さんです。姉である平野フミ子さんの思い出です。

       

       

      ★ 家族の思い−増元るみ子さん(仮題)


      るみ子は増元家にとって太陽のような存在でした。4人兄弟で私、弟、三番目がるみ子、一番下が照明です。本当に明るい子でした。父が厳しくて、私たちには近づけない存在でしたが、るみ子だけは「とうちゃん、とうちゃん」と言ってなついていました。

      父は営林署に勤めていました。屋久島杉を運ぶ船に乗っていましたので、2、3日置きに家に帰ってきました。帰る度にるみ子が、「父ちゃんお帰り」と挨拶するので、父は大変可愛がっていました。父は4人兄弟の中でるみ子を一番かわいがっていました。

      北朝鮮で一緒に暮らしたことがある地村富貴恵さんの思い出です。

      最初に会ったその夜、二人でずっと深夜遅くまで話しました。お父さんは公務員で、家族で社宅に住んでいて、お父さんが退職したら家を建てるんだと言っていました。お兄さん、お姉さん、弟さんがいて、家族で創価学会に入っているんだ、と。

      弟さんは北海道にあこがれていて、北海道の大学に行っていること、自分は腰が弱く、痛い時はお母さんがよく腰をもんでもらったこと、家には白い椅子が置いてあったこと等を聞きました。

      お父さんに愛されていた明るい女性だったるみ子さんは、24歳で拉致されて、今63歳です。増元さんお願いします。

       


      ◆拉致被害者の命を危険にさらす方向でしか拉致問題は解決できないのか

       

      増元照明(増元るみ子さん弟)

       

      皆さん、こんにちは。今日は本当に大勢の方にお集まりいただき、ありがとうございます。長時間にわたり椅子に座っていらっしゃるので、辛いと思いますが、もう少し我慢してください。

       

      今西岡さんからお話がありましたが、浜本富貴恵さんではなく、奥土祐木子さんが最初に姉と暮らしたということで、今のお話をしてくださったということです。

       

      15年前に私の父が死ぬ間際に、「日本を信じろ」と言って死んでいきました。南方に戦に出かけて、その戦のことは一言も子どもたちに言うことなく。それでも日本という国が好きで、恐らく、最後の最後まで日本を信じて死んでいったのでしょうが、今あれから15年経って、日本はどうなんでしょうか。

       

      私たちは本当に自分たちの力のなさを感じます。昨年末、日本政府に対して、全世界の在外日本大使館から在外北朝鮮大使館に、月に1回でもいいからアプローチしてくださいと申し上げましたが、今やっているのかどうか全く分かりません。今北朝鮮を揺さぶるのは、在外公館から揺さぶるのも一つの手ではないかと思ったからです。

       

      つい先日マレーシアで金正男暗殺がありました。北朝鮮政府がマレーシア人9人の出国を禁止しました。それに対して即座にマレーシアは、在マレーシアの北朝鮮国籍を持つ1千人にのぼる人たちの出国を禁止しました。後から数百人くらいは帰したんですが。なぜマレーシアにできることが日本にできないんでしょうか。

       

      今まさに拉致被害者は100人以上人質に取られて、出国もできない、声も挙げられない状況なのに、なぜ日本の在日北朝鮮の人たちは声を挙げて北朝鮮を訪問できるんですか(拍手)。

       

      ぼくは出国禁止をしろとは言っていません。それは新たな法律がいるでしょう。それでも私たちの国は独自で、わたしたちの国にふさわしくない人が再入国することを拒否することはできるんですよ(拍手)。

       

      これをすれば、少しでも北朝鮮に出る人はいなくなるでしょうし、北朝鮮にお金を持っていく人もいなくなるでしょう。人道的な問題があると言う方たちもいらっしゃるでしょうが、私たちの家族は40年間日本人としての人権を奪われているんですよ。そのことを本当に真剣に考えていないんですか。それが北朝鮮に対峙するということではないんですか。

       

      それにも関わらず、結局アクション・プロジェクトは、在日の技術者のサイン入国を禁止するだけに留まりました。なぜ北朝鮮の宋日昊が拉致問題に関心がないかというと、拉致問題に関して日本が何もしないからです。

       

      北朝鮮にとって拉致被害者を返さなくても、日本は制裁をかけてこなかったじゃないですか。ミサイルを撃ったら即座に追加制裁をしました。核をしたら追加制裁をしました。拉致の問題で、めぐみちゃんの骨と称するものを突き付けられて追加制裁しましたか。してないじゃないですか。拉致の問題で追加制裁をしていないんですよ。

       

      西岡さんは確かに、拉致の問題も理由に付け加えてもらっていると言いますが、拉致の大きな問題で、一昨年の合意破棄のことに関しても、それに対して日本は追加制裁しましたか。しないじゃないですか。核実験して初めて追加制裁したんでしょう。

       

      これでは拉致の問題でどんなことをやっても日本は怒らないから関心がなくなるのは当たり前でしょう。関心を持たなくたって大丈夫だからです。ミサイルを発射したら国際社会がうるさくなる。彼らに本当に拉致問題に関心を持たせるためには、拉致の問題で北朝鮮が困ることをやらなければならない。朝鮮総連の解体です(拍手)。破防法をかければいいじゃないですか。

       

      合意の時にも言っていました。北朝鮮が何を望んでいるか。在日朝鮮人総連合会の地位の安泰です。そしてあの本部を保全することです。それを日本政府がおそらく呼応して今の状況になっているんでしょうけども。なぜこんな状況を続けるんですか。

       

      2006年にアメリカに行って、財務省であの金融制裁をやった方にお会いしました。その方に私たちは、テロ支援国指定解除を止めてくださいと言ったんですが、その時その方が何と言ったかというと、「日本では明伸という企業ですが、企業としての行動を全く止めていないじゃないですか。日本は何をやっているんですか」。そう言われました。

       

      今日本はいったい何をやっているんでしょう。拉致被害者を救出するために。今回アメリカがああいう状況になって、結局は拉致被害者の命を危険にさらす方向でしか、拉致問題の解決ができないこの日本の外交力を私は嘆きます。日本の国力とはそんなもんなんですか。

       

      私は本当に姉の写真に向かって謝るしか今はありません。国会議員の皆さんも是非、姉の写真に向かって今の現状を謝ってください。そして謝ることによって肝に銘じてください。私たちは日本政府として日本人を助けてくださいと言いました。

       

      今ご挨拶の中で、そのことを強くおっしゃったのは知事の二人です。日本人が助けなければならないんだと明確におっしゃいました。でも国会議員の方たちは、日本政府がというふうにはおっしゃっていません。主体的にとおっしゃった総理もいらっしゃいましたが、本当に日本政府が日本人を助けなければ日本人は助からないんです。

       

      アメリカが攻撃したって、アメリカは日本人を助けるということに力を集中しません。本当に危険にさらされます。でもそれでしか解決ができないんだったら、私たちは覚悟しなければならない。拉致被害者家族も覚悟しなければならない、そんな状況に追い込まれています。

       

      そして拉致被害者も覚悟しなければならない。そんな状況に追い込まれていることに対して、私は姉に対して、本当に申し訳ない、本当にすまないとしか言いようがありません。是非皆さんも声を挙げてください。宜しくお願いいたします(拍手)。

       

       

       

      ★ 家族の思い−寺越昭二さん(仮題)

       

      司会 続いて寺越昭二さんです。長男の昭男さんがお父さんを最後に見た時の思い出です。

       

      「父ちゃん今日は俺も船に乗せてくれんか」。その日はメバル漁に出る父親にそう頼んでいた。中学に入ってからもう2回船に乗っている。漁師町の少年にとって船に乗るのは、貧しい家計を助けることだけじゃなく、何よりも心の踊る冒険でもあった。

       

      前に船に乗った時はすぐに船酔いして気持ちが悪くなったが、その日は初夏の抜けるような快晴、海はべたなぎだった。しかも次の日は日曜だ。心は遠足に行く前のような気だった。

       

      しかし、学校で何があったのか、遊んでいて遅くなったのか、それは覚えていないが、港に行った時船はもう出た後だった。もしもあの時自分も船に乗っていたら、運命というものの不思議さを思わずにはいられない。

       

      また次男の北野政男さんはこう語っています。

       

      親父は大きな船で漁に出る出稼ぎ漁師で、家には1年に数か月しかいなかった。事件の時私は小学校6年生でした。それでも一緒にお風呂に入った時のことをよく覚えています。兄弟3人と風呂に行って身体を流してもらった。ごつい手で頭をガーッと洗われるのが嫌だった。

       

      36歳で弟の外雄さん、甥の武志さんと漁に出て、北朝鮮工作員に拉致されました。二人を守ろうとして、海上で銃殺されたという証言があります。北朝鮮は「3人とも北朝鮮に入ったが、昭二さんは病死した」と通報してきましたが、提供された骨箱の中には砂しか入っておらず、昭二さんが北朝鮮に入った証拠は何もありません。現在生きていれば90歳です。寺越さんお願いします。

       

       


      ◆拉致よりも先に国交正常化が優先された

       

      寺越昭男(寺越昭二さん長男)

       

      先ほどめぐみさんの生まれた年、昭和39年ですが、めぐみさんが生まれる前の年にうちの事件があったんやなあと、今改めて思いました。増元さんが話した通り、何で日本の国は今まで立ってくれんかったかなあと。

       

      私もこれまでに2回か3回は交渉で解決するチャンスがあったんやないかなあと思ってます。そのたんびに何かまわりの方がおかしくなったり、外務省の方で拉致よりも先に国交正常化というのを考えて、そっちの方が優先されたりというような感じがあって、拉致問題はどうしても後になってきたんかなあというふうに考えています。

       

      家族会というのは本当に待つだけなんですね。待つのがしんどいから皆で頑張って署名活動をしたり、そんなふうにやってきたんだと思います。待つことしかできないというのは本当に寂しいですね。

       

      親父が生きておったら90歳、私は今年77歳になったんですが、私の元気な間にうちの事件の真相解明ができるかなとか、親父の遺骨を母親と一緒に入れてやれるかなとかいう思いに最近なっています。

      今後とも宜しくお願いいたします(拍手)。

       

      (5につづく)

       

      ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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      [携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

      葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

      ■救う会全国協議会ニュース

      発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
      TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
      担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
      〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
      カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
      みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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