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    10年を振り返って―曽我ひとみさんの手記(2) 

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      10年を振り返って―曽我ひとみさんの手記(全文)no.2



      ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.21)






       10月17日、佐渡へ帰ってきた。新潟から飛行機で20分余りのフライトだったが、窓から見える佐渡島は、何も変わっていないように見えた。島影が見えた途端、胸が詰まり涙が自然にこぼれてきた。到着するまでの間、ずっと泣きっぱなしだった。マイクロバスに乗り込み、真野町(現・佐渡市)役場に向かった。

       車窓から見える佐渡の風景は、私がいたころと随分変わっていた。道路は広くなり全て舗装され、街灯もたくさんついている。家並みも整い、きれいな家がいっぱいあった。自動車もたくさん走っていて、ここが本当に佐渡なのだろうかと目を疑うような変化に驚いたことを思い出す。役場に着いた。玄関先で大勢の人達が出迎えている。町長はじめ役場の職員、議員、そして同級生たち。同級生は、みんなそれなりに年を取っていたが、一人ひとり誰なのか名前を言わなくても分かった。ただ、相変わらず日本語が出ない。同級生の言葉にただ頷くしかなかった。言葉を交わさなくても、みんなが私を忘れていなかったことがすごく嬉しかった。ゆっくりすることもなく、四日町の集落センターへ。

       挨拶もそこそこに、自宅へ向かった。マイクロを降りると父が足を引きずりながら駆け寄ってきた。私も小走りに駆け寄り抱き合って泣いた。ただ、謝ることしかできなかった。死んだと思っていた娘が帰ってきたのだ。父も私の姿を見るまでは信じられない思いだったはずだ。お互い多くを語らなくても嬉しさが伝わっていた。それにしても、本当に久しぶりの父の佐渡弁が耳に心地よく響いた。ほんの少しではあるが、日本語が甦ってきて、片言だけど話をすることができた。

       親戚の人も近所の人も集まっていた。みんな泣いていた。温かく迎えてくれたことが本当に嬉しくて、「やっぱり故郷はいいなあ、帰ってきて良かった」と心の中でつぶやいていた。でも、嬉しい半面、悲しい気持ちもあった。その場に母の姿がないことだった。調査団の人に、「佐渡にお母さんはいません」と言われていたが、信じることができないでいた。タラップを降りるときも、もしかして迎えにきてくれているかもしれないと僅かな望みを抱いていた。だけど、やっぱり母はどこにもいなかった。

       辛い現実をつきつけられた思いと、それを受け入れなければならないと自分に言い聞かせながら、やっぱり否定する自分がいて、その狭間での葛藤は苦しいだけだった。その夜は、疲れているはずなのだが、興奮していてなかなか寝付けなかったことを思い出す。それにしても、次の日からあんなに忙しくなるなど想像もしていなかったので、今思えばよくあれだけの日程をこなしてきたものだと感心している。

       18日、墓参りに行き、午後からは高校の卒業証書授与式に出席した。卒業まで半年あまりとなった年に拉致されたのだ。心残りとなっていた問題の一つが解決された喜びがあった。半面、本音を言うと40歳を過ぎて賞状を受け取るのは恥ずかしかった。でも、私一人のために式を用意してくれたことが嬉しく、みんなと同じ卒業生になれたことも最大の喜びだった。関係者のみんなに心から感謝した。

       式の後は同級会があり、24年ぶりに同級生たちに再会した。みんながそれぞれの24年を過ごしたんだなぁと、一人一人の顔や姿を見て思った。それは、21日参加した小中学校の同級会でも同様の感想であった。中には、「あの人誰だっけ?」と、名前と顔の一致しない同級生もいた。月日の流れは人の記憶を曖昧にするものだと実感した。でも、やっぱり友達というのは良い。会えば一瞬で過去の自分に戻してくれる。友達の存在は、過去も現在も私の宝だと思っている。

       そうそう、23日の佐渡病院訪問でも嬉しいことがあった。24年間、被ることがなかったナースキャップを着けてもらったことだ。自分の一生の仕事だと思い、勤務し始めた矢先の出来事だっただけに、中途半端で投げ出したことに責任を感じていたが、ナースキャップを頭に載せられた時は、看護師に戻った気分になり嬉しかった。


       日本滞在中は、毎日忙しかったが充実していた。北へ帰る時間が迫れば迫るほど、故郷への思い、家族、親せき、友人たちへの思いが捨てきれずに心が痛んだ。かといって、北にいる夫や娘たちへの思いも募る。両方の国にいる愛する人たちの狭間で体が二つあったらどんなにいいかと何度も思った。

       そんな折、「拉致被害者5人を北へ帰さない」との政府方針が発表となった。一時帰国と思っていた私は、着々と帰る支度をしていたのだ。正直ショックだった。「北に逆らえば、家族はどうなるのか?」。そのことばかりが頭の中をぐるぐる駆け巡る。24年間、逆らうことなく言うがままにしていたから、私は生き延びてこられたのだと確信していた。それなのに、北へ逆らえと日本政府は言うのだ。私の返事次第で家族の処遇が決まると思い込んでいた私は、どうすることも出来ず悩む毎日だった。

       返事を出せないまま数日が過ぎた時のことだった。日本滞在中に健康診断でも受けたらとのアドバイスもあり、特に悪いところはなかったのだが、せっかくなので人間ドックを受けることにした。その時、先生から「ちょっと肺に気になるものがあります。まだほんの小さな粒程度ですが、もし時間が経って大きくなるようなら手術した方がいいと思います。まずは、1年くらい様子を見ましよう」と言われた。

       私は、すぐに「肺がん」だと確信した。なぜなら、北にいたときドイナ(同じ建物に住んでいたルーマニア人拉致被害者)が肺がんで亡くなっていた。初期の症状からずっと見ていた私には、肺に何かがあるというだけで、理解することができたのだ。精密検査をするため組織を取ったが、ほぼ間違いなく悪性だろうと思われた。怖くなった。目の前に「死」が迫っていると感じた。だが、先生が「ほんの初期ですから心配いらないですよ」と言ってくれたので安心できた。これが北朝鮮だったら、私は確実に死んでいただろう。ドイナのように、死ぬ直前まで故郷を思い、二度と故郷の土を踏むことが叶わなかっただろう。未練を残したまま死ぬことを考えたら、日本に帰れたことを感謝した。




      (3につづく)



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