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    拉致許した国の不作為責任

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      【土・日曜日に書く】
      論説委員・石川水穂 

      拉致許した国の不作為責任


      2012.8.18 03:08
      (1/3ページ)土・日曜日に書く




      敗戦の混乱で悲惨な死

       29日、中国・北京で、北朝鮮に残る日本人の遺骨返還や墓参などをめぐる日本と北朝鮮の政府間協議が行われる。先の日朝赤十字協議に続くもので、日本政府は拉致問題も提起する。

       先の大戦末期、朝鮮半島の38度線より北側では、旧ソ連軍が日ソ中立条約を破って侵入し、多くの日本人が犠牲になった。

       6年前の「正論」5月号の「フォトギャラリー」に、日本が北朝鮮に残した東洋一の化学工場、日本窒素興南工場の写真を寄せた北沢玉枝さんは、朝鮮北部から脱出した日本人の一人だ。

       玉枝さんの夫、保次さんは興南工場の技術者で、終戦時、12万人いた日本人会の会長だった。工場の日本人従業員と家族は身ひとつで社宅を追い出された。保次さんがソ連軍と折衝し、コウリャンのしぼりかすを分けてもらい、飢えをしのいだが、3千人が飢えと寒さで死亡したという。

       厚生労働省によると、この地域で3万4600人の日本人が死亡し、うち1万3千人の遺骨は引き揚げ者が持ち帰ったものの、残る2万1600人分は今も北朝鮮に眠っている。

       終戦前後の混乱で肉親を亡くした多くの家族が墓参と遺骨返還を待ち望んでいると思われる。

       日朝赤十字協議で思い出されるのは、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還(北送)事業である。

       在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)などの呼びかけで、日朝両赤十字が中心になって推し進めた。昭和34年から59年までに、日本人妻を含む9万3380人が北朝鮮に帰還した。


       当初、北朝鮮は「地上の楽園」ともいわれたが、帰還者には苦しい生活が待っていた。特に、日本人妻は2、3年に1度の里帰りを約束されていたものの、それもかなわず、日本人であるという理由で冷遇されたといわれる。

       日本人妻の里帰りも日朝間に残された課題の一つだ。



      密航事件で新たな発見

       しかし、日本にとって最重要課題は拉致問題である。

       平成20年8月の日朝実務者協議で、北朝鮮は拉致被害者の再調査を約束した。北はこの約束を果たすことが先決だ。

       今も日本に帰国できないでいる政府認定の拉致被害者は横田めぐみさんら12人。拉致の疑いを否定できない特定失踪者のうち、特に疑いが濃厚な失踪者は73人だ。

       特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)は昨年6月から、失踪者が行方を絶った現場を訪ね歩いている。北朝鮮工作員が不法侵入を図った海岸にも足を運んだ。

       秋田県では、昭和38年4月に工作員3人の水死体が能代市の海岸で見つかった能代事件を調べた。当時の地元紙「北羽新報」の中に「黒い魚雷のようなもの」が男鹿海岸に打ち上げられたという記事を見つけた。

       警察が発表している工作員の遺留品の写真にはなく、荒木さんは「上陸用の水中スクーターではないか」とみている。

       鹿児島県では、46年10月に薩摩半島南端の海岸に工作員ら6人が侵入したことを伝えた鹿児島新報の記事を見つけた。

       6人はゴムボート2隻に分乗して上陸するのを釣り人に発見された。指宿署員らが捜索した結果、2人が発見され、残る4人は小型船で逃げた。見つかった2人は朝鮮総連幹部で、逃げた4人を「知らない」と繰り返した。指宿署はそれ以上の調べが困難とみて、2人を帰したという。

       あまり知られていない事件だ。荒木さんは「表に出ていない密航事件がいかに多かったかを思い知らされた」と話す。


      “平和憲法”に安住

       たまたま工作員が日本の警察に見つかり、外国人登録法違反や出入国管理令違反容疑などで逮捕されたケースもある。だが、いずれの法律も罰則が軽く、ほとんどの工作員が起訴猶予か執行猶予付きの判決を受け、短期間で北朝鮮に帰っている。

       朝鮮総連の中央本部財政局副局長だった韓光煕(ハングァンヒ)さんは著書「わが朝鮮総連の罪と罰」の中で、自分だけで38カ所の工作船接岸ポイントをつくったことを告白している。また、特定失踪者が行方を絶った時期は昭和20年代にさかのぼる。

       戦後のかなり早い時期から、北朝鮮工作員による拉致が行われていたことは、ほぼ間違いない。

       戦後日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義」をうたった“平和憲法”に安住し、国民の生命と主権を守るための海岸線の防備や法整備を怠ってきた。

       来月は、北朝鮮の金正日総書記が拉致を認めて謝罪した日朝首脳会談から10年の節目にあたる。最も問われるべきは、それまで拉致を放置し続けた国家の不作為責任である。(いしかわ みずほ)






      ________________________________________________

      【引用元記事のURL】
      http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120818/plc12081803080004-n1.htm



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      帰りたいねえとお互い話し合った−蓮池祐木子さんが増元るみ子さんとの生活を証言

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        ★☆救う会全国協議会ニュース★☆
        (2012.08.10)



        帰りたいねえとお互い話し合った

          −蓮池祐木子さんが増元るみ子さんとの生活を証言



         本日紹介する蓮池祐木子さんから増元照明さんへの手紙は、照明さんが、お母さんがまだ元気なうちに、増元るみ子さんと北朝鮮で約1年一緒に暮らした蓮池祐木子さんに、どのような暮らしだったかを教えてほしいということ、また東京連続集会で皆様にも伝えたいということで手紙でお願いしたところ、蓮池祐木子さんが7月29日付けで返事をくれたものです。

         8月9日に開催された東京連続集会で増元照明さんが公開しました。

         丁寧な字で、こころをこめて書いてくださったことが一目で分かるもので、増元照明さんは心から感謝の言葉を述べました。

         また、この手紙により、蓮池祐木子さんと増元るみ子さんは、1979年10月25日まで約1年間、一緒に暮らしたことが判明し、北朝鮮が嘘の主張をしていたことも分かった。

         つまり、北朝鮮は、蓮池薫さん、祐木子さん夫婦は、1979年7月に結婚と主張していたが、それは経歴偽造であったこと、つまり生存していることが改めて明らかになった。

         また、アベックで拉致された祐木子さん、るみ子さんは、それぞれ、「逃げたら軍が捕まえる」と脅された上で、「相手(恋人)はもう日本に返した」とだまされてから、「ここで私は生きていかなければならない」と覚悟したことも証言し、拉致被害者に対する卑劣な手口も明らかになった。

         さらに、二人は約1年間で3回引越しをさせられているが、「明日荷物をまとめるように」と強制的に引き裂かれていた。

         東京連続集会での発言は、後日送信します。


        ■帰りたいねえとお互い話し合った−蓮池祐木子さんが増元るみ子さんとの生活を証言


        ◆増元照明さんの質問に対する蓮池祐木子さんの返事24.07.29付

        Q.姉・るみ子とはいつから何時まで一緒に暮らされたのでしょうか。

         るみ子さんとは、1978年秋から翌年の秋の10月25日まで、約1年間一緒に生活しました。

         ピョンヤン駅からあまり遠くないアパート(幹部が多く住んでいて、ベンツが多く出入りして、歩哨も立っていました)で、私が他の招待所からそのアパートに引っ越した後、指導員がるみ子さんを連れて来ました。現地で作ってもらったワンピースを着て、荷物はスーツケース(外貨ショップでみんながひとつずつ与えられた)ひとつを持って。

         ピョンヤンでしたので、二人きりで2回くらい自由に散歩した事が、今思えばそんな自由があったんだと不思議に感じます。

         お正月は、アパートで過ごし、そのあとレンチョン招待所に移りました。郊外で部屋が(応接間兼勉強室、隣には寝室、バス、トイレ)3、4個ありました。卓球場、映画館もあり、かなり大きな建物でした。そこには春頃までいたような気がします。

         それから順安招待所に移りました。順安飛行場の横を通り過ぎ、ピョンヤンからはかなり離れた農村地帯で、とうもろこし畑が一面に見える、ちょっと高台にある招待所でした。るみ子さんとわかれるまで、その静かな所で生活しました。10月25日まで。


        Q.最初にあった時の印象は。

        優しい印象でした。
        背が高くて、スマートで。
        約1年間一緒に生活しましたが、おだやかな性格で、やっぱり優しかったです。


        Q.お互いの境遇に関しては聞いていたと思いますが、姉が不安を感じているところはありませんでしたか。

         るみ子さんも最初はずっと泣いていたそうです。一度は洋服ダンスの中で泣いていたら、指導員に見つかってしまったとか。裏山にある栗の木の下で泣いた事も。

         最初は怖くて招待所のおばさんの部屋で一緒に寝ていたと言っていました。北朝鮮に連れてこられて2か月くらい経ってから私たちは会ったので、泣く事はあまりなかったですが、ピョンヤンのアパートにいる時、るみ子さんが2度くらい具合が悪くなって(寝たまま目を開けられなかった時がありました)、医者が来た事がありました。


        Q.日本の家族の事を話していましたか。

         お互い自分の事に関しては話さないようにと指導員に言われましたが、会ったその夜、二人でずっと小さな声で深夜遅くまで話しました。

         お父さんは公務員で家族は社宅に住んでいて、お父さんが退職したら指宿に家を建てるんだと言っていました。

         お兄さんやお姉さん、弟さんがいて、弟さんは北海道にあこがれていて北海道の大学に行っている事。

         自分は腰が弱く、痛い時は、お母さんからよく腰をもんでもらってた事。家には白い椅子が置いてあった事。


        Q.日本に帰りたいと言って泣いていたことはありませんでしたか。

         ピョンヤンのアパートにいる時、夜、ベランダに出ては外を眺めながら、帰りたいねえとお互い話しましたが、もうあまり泣くことはありませんでした。最初、いっぱい泣いたので、お互いの前でもう泣く事はなかったです。


        Q.姉の好きな歌はなんだったでしょうか。

         はっきり覚えていません。

         るみ子さんがちょっと体の具合が悪くなってベッドに横になっている時、何回か私が歌を歌った事があるんですが、喜んで聞いてくれました。今でもはっきり覚えているのが、ジュリーの曲で、出だしが“髪型が変わりましたね。秋風によく似合いますね”の曲はよく歌いました。

         一緒に「瀬戸の花嫁」とか「花嫁」は、よく二人で歌ったような気がします。るみ子さんは、まもなくして北朝鮮の歌を覚えたそうです。

        「キム・イルソン将軍の歌」「カン・バンソクオモニ」(キム・イルソンの母親の名前です)です。私もるみ子さんから習いました。前一緒にいた指導員から習ったと言っていました。本当にじょうずでした。みんながびっくりしましたから。日本にいる時、琴を習ったと聞きました。


        Q.姉は通常どのような事をしていたのでしょうか。

         るみ子さんと会ってしばらくして指導員から朝鮮語を習いました。その人は独学で日本語を勉強した人で、あまり上手ではなかったですが、キム・イルソン総合大学で出版された朝鮮語(日本人用)の教材で勉強が始まりました。時々テストもありました。

         ある程度進むと聞き取りの勉強が始まり、指導員が話す事をノートに書き出す練習をしたり、それから日記を毎日書くように言われ、わからない所は日本語で書いて。でも毎日二人で書きました。指導員が招待所にくると、必ず日記を見て、ことばの間違っている所を直してました。

         指導員はだいたい週2、3回くらい私たちの所に来て、勉強を教え、昼食はほとんど一緒にしました。時々は夕方までいて、夕食を一緒にする事もあり、そんな時はみんなでダイヤモンドやトランプをしたりもしました。

         私たちは、朝起きると軽く運動してから朝食をとりました。朝はほとんど食パンを蒸し器で蒸したものと、バター、ジャム、キムチ、ハム、卵焼きでした。昼食と夕食はほとんど朝鮮料理でした。レンチョンの招待所に居た時は、おじさんの料理師で日本料理を作っては私たちを喜ばせてくれました。天ぷらうどんなどがでると、“おししいね”“なつかしいね”と食べたものです。

         夕食が終るとお風呂に入って、るみ子さんは髪が長かったので、必ずカールで巻いて、きちんとしていました。招待所によっては、おばさんたちと一緒に応接間でテレビを見たりして夜を過ごしました。


        Q.余暇には旅行などしていたのでしょうか。

         旅行は一度もありませんでした。

         二人でいた時、ピョンヤンの歴史博物館や平安北道妙香山にある親善博物館(世界各国からキム・イルソンやキム・ジョンイルに贈られて来た贈物が展示されている所)、それから信川博物館(朝鮮戦争の時、アメリカ軍が人民を虐殺した資料、写真が展示してある所)、その場所には無惨に殺された母親たちの大きなお墓があったんですが、そのお墓の前でるみ子さんはずっと涙を流していました。

         見学といっても、すべて勉強でした。

         必ず、外出する時は、前日に連絡が来ました。お昼が必要であればおばさんが全部用意してくれたり、また、博物館にある特別な部屋で食事をする事もありました。

         外出する時は、指導員や運転手(車はほとんどベンツ)がいつも一緒でした。


        Q.楽しそうにしてたころはあったのでしょうか。

         ずっと招待所にいましたから、外出するのは嬉しかったようです。

         月に1度、ショッピングに行くのが、やはり楽しみでした。行った当時は一般の外貨ショップには行けず、普通のアパートの1階にお店が設けられていて、中は見えないようにカーテンがしてあり、私たちのように特別な人たちのお店だったようです。朝鮮の普通のお金ではなく、その店だけに通用するお金でした。

         靴を買ったり、化粧品(当時、資生堂、カネボウ化粧品が置いてあって二人でビックリ)を買ったり、お菓子を買ったりしました。

         一度、るみ子さんが木綿のストライプの布を買って来て、ノースリーブのブラウスを縫って着てました。二人で新聞紙でかたがみを書いて、裁断して、おばさんの昔のミシンで縫いました。

         るみ子さんが、鹿児島ではすいかの皮(白い部分)で漬物を作ると言って実際に作ってくれた事がありました。しょう油で味つけしてありました。

         たった二人で、お弁当を作って、招待所の裏山に登って食べた事もありました。

         ハウスのカレー粉で二人でカレーを作ったりしたんですが、粉だけで作った事がなかったので、うまくできなくて辛いカレーを何回か食べました。

         招待所に来る人も限られていましたので、人が来ると必ず出て、あいさつしたものです。週二回食品を運んでくれるおじさんでしたけど。

         るみ子さんは卓球がうまくて、私も少し教えてもらったりしましたが、一緒に卓球をしようと言われ、よく相手していました。選手だったとかで、さすがにうまかったです。


        Q.蓮池さんは日本からの救出を諦め、北朝鮮で暮らす事を考えたとおっしゃっていますが、姉にもそのような覚悟をする時があったのでしょうか。

         私一人でいる時、幹部がある日来て、一緒に来た恋人(男性)は必要ないので日本に帰したと言われた時から、ここで私は生きていかなければならないんだと思いました。るみ子さんも私と同じ事を言われたと聞いたような気がします。

         それから、気持ちが変わりました。もし、逃げたりしたら、軍隊を動員してすぐに捕えると最初に脅されたので、二人でいる時も、日本に帰りたいねえと言っても、怖くて、逃げようかと話した事は一度もありませんでした。

         ある程度、朝鮮語の勉強が進むと、チュチェ思想(主体思想)の講座を受けました。ある日、るみ子さんが創価学会の思想とチュチェ思想は似たような部分があると一言、言ったら、ひどく指導員が怒って、るみ子さんが泣きながら外に出て行った事がありました。
        向こうで、他の宗教を信じる事はなかったです。


        Q.姉と別れる際、どのような会話があったのでしょうか。

         前日、るみ子さんだけが引っ越すので、荷物をまとめるようにと指導員に言われ、急な事だったので驚きました。

         何を話したかは覚えてないんですが、とにかく二人で泣きました。

         丘の上にある招待所にいたので、下の道がよく見えて、るみ子さんも車の窓を開けて、ずっと身をのり出して招待所が見えなくなるまで手を振ってくれ、私も車が見えなくなるまで泣きながらずっと手を振っていました。

         その日がパク・チョンヒ大統領が暗殺された前日でしたので、はっきり覚えています。


        Q.そのほか、思い出されたことがありましたら……

         るみ子さんの誕生日に幹部がフランス製のコニャックを1本持ってお祝いに来て、夕食を一緒にした事がありました。その時、二人ですごく酔った事がありました。

        以上

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        ■野田首相にメール・葉書を
        首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
        下記をクリックして、ご意見を送ってください。
        [PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
        [携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

        葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿

        ■救う会全国協議会ニュース

        発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
        TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784  http://www.sukuukai.jp
        担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
        〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
        カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
        みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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        日朝政府間協議 拉致被害者家族「生きている人を取り戻す交渉を」

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          日朝政府間協議 拉致被害者家族「生きている人を取り戻す交渉を」

          2012.8.14 21:23

           日朝政府間交渉が4年ぶりに開かれることが正式に発表された14日、拉致被害者の家族からは歓迎の声が上がる一方で、日本人遺骨の問題が優先され、拉致事件が棚上げにされることを懸念する声ももれた。

           29日の政府間協議は両国間の諸懸案を議論する「予備協議」という位置づけという。田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で、家族会代表の飯塚繁雄さん(74)は「予備協議では、拉致問題を必ず本協議の議題に入れるよう、しっかり提起し、合意してほしい。政府はしたたかに、協議を一つのきっかけとしてほしい」と期待を寄せる。

           横田めぐみさん=同(13)=の母、早紀江さん(76)も「ようやく交渉のテーブルにつくことができ、話ができるようになる」と歓迎しつつ、「遺骨収集のみで合意し、経済制裁が緩和されるようなことは許されない。亡くなった方の遺骨を収集することは重要だが、拉致問題は日本国民全部が見ている問題だ」と、拉致事件が置き去りにされることがないよう注文を付けた。

           増元るみ子さん=同(24)=の弟で、家族会事務局長の照明さん(56)は「最初に拉致事件を解決できない限り、いかなる問題も先に進まないという日本側の立場を明確にしないと、北朝鮮にいいようにされる。まず北朝鮮で生きている人間を取り戻すための交渉を最優先にすべきだ」と話した。


          ________________________________________________

          【引用記事URL】

          http://sankei.jp.msn.com/world/news/120814/kor12081421240004-n1.htm






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          日朝協議、北が「拉致外し」を鮮明に 「遺骨とまぜこぜ、政治利用」と批判

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            日朝協議、北が「拉致外し」を鮮明に


             「遺骨とまぜこぜ、政治利用」と批判


            2012.8.17 00:33

             北朝鮮の朝鮮中央通信は16日、29日に開催予定の邦人遺骨問題をめぐる日朝政府間協議で日本が拉致問題を取り上げようとしていることを「会談を不純な政治目的に利用しようとしている」と非難する論評をウェブサイトに掲載した。拉致問題提起を4年ぶりの日朝協議の前提とする日本に対し、北朝鮮が「拉致外し」の態度を鮮明にすることで機先を制した形だ。

             論評は政府間協議に先立つ日朝赤十字協議で話し合われた北朝鮮に残る邦人遺骨問題を「人道問題」とし「日本当局は会談の趣旨と全く異なる動きを見せている」と指摘。政府間協議の議題に「拉致問題は当然含まれる」との藤村修官房長官の発言を非難し「日本政府が遺骨問題解決に心から臨んでおらず会談の雰囲気を汚している」と論じた。「遺骨問題と拉致問題をまぜこぜにし会談を政治目的に利用しようとの真意が見て取れる」とも批判した。

             北朝鮮は金正恩政権になってからも拉致問題は「存在もにおいもしない」と繰り返し、松原仁拉致問題担当相を「死んだ人が生きているという嘘で人気を高めようとする詐欺だ」と非難してきた。北朝鮮が昨年7月、外貨獲得工作として遺骨問題提起を内部決定したことも判明している。

             拉致は解決済みとの主張と遺骨協議を金正日総書記の遺訓として推進しているといえる。政府が協議再開に合意したのは日朝が話し合う「諸懸案」に拉致問題が含まれると好意的に解釈したからに他ならない。今回の論評は日本の甘さに冷や水を浴びせた格好だ。

             論評は「日本が問題を政治化して得るものは何もない。われわれの誠意を無視し、遺骨が流失しても責任は日本当局が取らなければならない」と遺骨を人質にするような文言で締めくくっている。(桜井紀雄)


            ________________________________________________

            【引用記事URL】

            http://sankei.jp.msn.com/world/news/120817/kor12081700340000-n1.htm


            《寸評》

            「遺骨が流失しても責任は日本当局が取らなければならない」


            とは何たる言い草か。日本赤十字も心ない仲介をするものだ。こんな取引に利用されたら遺骨の日本人も「こんなことに俺の骨を使うな。」とあの世で悔し涙を流しているたろう。況わんや日本政府は北朝鮮が何を目的としているか百も承知しているではないか。骨になった者も日本国民である。こんな卑しい取引に使わないで欲しい。

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            日朝協議、北が「拉致外し」を鮮明に 「遺骨とまぜこぜ、政治利用」と批判

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               【msn産経ニュース・平成24年8月17日(金)】


              日朝協議、北が「拉致外し」を鮮明に


               「遺骨とまぜこぜ、政治利用」と批判


              2012.8.17 00:33


               北朝鮮の朝鮮中央通信は16日、29日に開催予定の邦人遺骨問題をめぐる日朝政府間協議で日本が拉致問題を取り上げようとしていることを「会談を 不純な政治目的に利用しようとしている」と非難する論評をウェブサイトに掲載した。拉致問題提起を4年ぶりの日朝協議の前提とする日本に対し、北朝鮮が 「拉致外し」の態度を鮮明にすることで機先を制した形だ。


               論評は政府間協議に先立つ日朝赤十字協議で話し合われた北朝鮮に残る邦人遺骨問 題を「人道問題」とし「日本当局は会談の趣旨と全く異なる動きを見せている」と指摘。政府間協議の議題に「拉致問題は当然含まれる」との藤村修官房長官の 発言を非難し「日本政府が遺骨問題解決に心から臨んでおらず会談の雰囲気を汚している」と論じた。「遺骨問題と拉致問題をまぜこぜにし会談を政治目的に利 用しようとの真意が見て取れる」とも批判した。

               北朝鮮は金正恩政権になってからも拉致問題は「存在もにおいもしない」と繰り返し、松原仁 拉致問題担当相を「死んだ人が生きているという嘘で人気を高めようとする詐欺だ」と非難してきた。北朝鮮が昨年7月、外貨獲得工作として遺骨問題提起を内 部決定したことも判明している。

               拉致は解決済みとの主張と遺骨協議を金正日総書記の遺訓として推進しているといえる。政府が協議再開に合意したのは日朝が話し合う「諸懸案」に拉致問題が含まれると好意的に解釈したからに他ならない。今回の論評は日本の甘さに冷や水を浴びせた格好だ。

               論評は「日本が問題を政治化して得るものは何もない。われわれの誠意を無視し、遺骨が流失しても責任は日本当局が取らなければならない」と遺骨を人質にするような文言で締めくくっている。(桜井紀雄)





              ________________________________________________

              【引用記事元URL】

              http://sankei.jp.msn.com/world/news/120817/kor12081700340000-n1.htm




              ◎お詫び この記事を貼り付けたのは9月1日ですが、時間を追って事態の推移を見る上で不便ですので、投稿日時をニュース配信の当日8月17日にしています。







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              「拉致直後、招待所で泣き続けた」増元るみ子さんの北朝鮮での生活明らかに

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                【msn産経ニュース・平成24年8月10日(金)】
                 

                「拉致直後、招待所で泣き続けた」


                    増元るみ子さんの北朝鮮での生活明らかに


                2012.8.10 14:53

                増元るみ子さんとの生活を伝える蓮池祐木子さんの手紙

                 北朝鮮による拉致被害者で平成14年に帰国した蓮池祐木子さん(56)が、増元るみ子さん=拉致当時(24)=と平壌市内で同居していた当時につ いて、「約1年間、3カ所の招待所などで一緒に生活した」と詳細に証言したことが9日、分かった。るみ子さんは「拉致直後、招待所で泣き続けた」と話して いたという。るみ子さんの弟、照明さん(56)が祐木子さんに質問し、手紙で回答された内容を、都内で同日開かれた集会で明らかにした。

                  手紙によると、2人は1978(昭和53)年秋に、平壌駅近くのアパートで共同生活を始めた。79年の正月後に平壌市内の冷(レン)泉(チョン)招待所に 移動。同年春に飛行場近くの順安(スナン)招待所に移り、るみ子さんが別の招待所に移った79年10月25日まで生活をともにした。

                 るみ子さんは拉致直後に別の招待所に一人でいた際、「ずっと泣いていて、一度洋服ダンスの中で泣いていたら、指導員に見つかってしまった」と当時の状況を祐木子さんに説明。「怖くて招待所のおばさんの部屋で一緒に寝ていた」と話したという。

                 共同生活を始めてからは夜に2人でベランダから外を眺め「日本に帰りたいね」と言い合っていた。るみ子さんが体調を崩し、医師を呼んだこともあった。

                 2人のもとには指導員が週に2、3回訪れ、朝鮮語を学習させた。語学を覚えるため、日記を毎日書くよう指示されたという。

                 照明さんは「母は84歳で足腰も弱くなった。今のうちに母に北での姉の生活を教えてあげたい」と手紙を出した経緯を説明、早期救出を訴えた。

                 るみ子さんは昭和53年8月12日に鹿児島県の海岸で、市川修一さん=同(23)=とともに北朝鮮工作員に拉致された


                ________________________________________________

                【引用記事元URL】

                http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120829/plc12082910050006-n1.htm




                ◎お詫び この記事を貼り付けたのは9月1日ですが、時間を追って事態の推移を見る上で不便ですので、投稿日時をニュース配信当日の8月10日にしています。





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                日朝赤十字が遺骨返還、墓参に向けて協議 拉致問題には触れず 北の狙いは外貨?

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                   【msn産経ニュース・平成24年8月9日(木)】

                  日朝赤十字が遺骨返還、墓参に向けて協議


                   拉致問題には触れず 北の狙いは外貨?


                  2012.8.9 20:55


                   【北京=川越一】日本赤十字社と朝鮮赤十字会は9日、北京市内のホテルで、北朝鮮に残る日本人の遺骨の返還や墓参の実現に向けて意見を交換した。日朝赤十字協議は10年ぶり。協議は2日間行われる。


                   日本側からは田坂治国際部長ら3人が出席。北朝鮮側のリ・ホリム事務総長ら3人は北朝鮮大使館の公用車で会場に到着した。協議では北朝鮮側が現状を説明。日本側関係者によると、拉致問題には触れず、遺骨の返還と墓参に焦点を限って、話し合いが進められたという。

                    国際社会から経済制裁を科されている北朝鮮は最近、干魃(かんばつ)や豪雨で食糧事情がさらに悪化していると伝えられる。北朝鮮が協議に応じた背景には、 遺骨収集費用として日本から引き出した外貨を金正恩第1書記が掲げる「国民生活の向上」に充て、民心をつなぎとめる狙いがうかがえる。

                   初日の協議後、日本側関係者は「非常によい雰囲気で協議は順調に進んだ」と評価。北朝鮮のリ・ホリム事務総長は「日本側は真剣に討論を進めた。明日(10日)には結果が分かる。みんな努力しているところだ」と、何らかの合意に達することを示唆した。





                  ________________________________________________

                  【引用記事元URL】

                  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120829/plc12082910050006-n1.htm




                  ◎お詫び この記事を貼り付けたのは31日ですが、時間を追って事態の推移を見る上で不便ですので、投稿日時をニュース配信当日の8月9日にしています。




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                  拉致被害者の市川さん「1996年に生存」

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                    拉致被害者の市川さん「1996年に生存」


                     「79年死亡」北朝鮮の主張覆す材料に


                               救う会が情報入手


                    2012.8.9 14:28


                     北朝鮮による拉致被害者、市川修一さん=拉致当時(23)=について、被害者や家族の支援組織「救う会」が「市川さんは1996(平成8)年まで工作員に日本語を教えていた」とする情報を独自に入手していたことが8日、分かった。市川さんをめぐってはこれまで、生存を示す確実な情報は少なく、「79年9月に死亡した」とする北の主張を覆す貴重な材料となる。

                     市川さんが工作員の日本語教師をしていたという情報は2002年に北朝鮮を脱出したとされる工作機関の元幹部が08年夏、北朝鮮向け短波ラジオ「自由北朝鮮放送」に寄せた手紙に記されていた。

                     救う会が手紙を入手し、記された情報について確認を進めたところ別ルートからも同様の情報を確認。「手紙に記された市川さんの情報の信(しん)憑(ぴょう)性は高い」と判断したという。

                     手紙などから得られた情報によると、市川さんは1982年から86年まで金正日政治軍事大学で、朝鮮労働党の工作機関「統一戦線部」に所属する予備工作員に日本語を教え、86年から96年までは同大学と工作員招待所で工作員の日本語講師を務めていた。また、ともに拉致された増元るみ子さん=同(24)=との結婚時期についても、手紙では80年7月ごろとされ、「79年7月」とする北朝鮮の説明と異なっている。

                     市川さんと増元さんは昭和53年8月12日、「夕日を見に行く」と鹿児島県吹上町(現日置市)の吹上浜に出かけ、北朝鮮工作員に拉致された。


                    __________________________________________________

                    【引用元記事のURL】

                    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120809/crm12080914290011-n1.htm



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                    横田滋さんの写真展を見てきました

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                      【調査会NEWS1220(24.8.6)

                      ■写真

                                                     荒木和博

                       日本橋の高島屋で開催されている横田滋さんの写真展を見てきました。私の前に藤田隆司さん(川口で失踪した藤田進さんの弟さん)が来たそうですが、主催している「あさがおの会」の方によれば12500人以上の人が来場しているそうです。写真を見ていくとあらためて申し訳ないという思いがこみ上げてきます。拉致されてから北朝鮮にいると分かるまで20年、分かってから今日まで15年で大差なくなってしまいました。その15年間に関わっているものとしては複雑な思いです。

                       

                       ところで、展示されている写真の中に北朝鮮が出してきためぐみさんの写真と拉致される前の写真を並べて立ち方がそっくりというものがありました。右足をやや前に出して立っている立ち方は確かによく似ていました。それを見て思い出したのですが、平壌の凱旋門の前で金英男氏と並んでいる写真の胴体は明らかに別人です。左足が前に出ています。警察の鑑識におられた方によれば女性の場合写真に写るときどちらの足を前に出すかは決まっているそうで、凱旋門の写真は首だけ貼り付けたものだそうです。それ以外の部分も影などにおかしな部分があり、あちこち貼り付けたものとのこと。これから写真展に行かれる方はぜひ注意して見て下さい。

                       

                       なお、この写真のことは、政府は当然写真の入手当初から分かっていたはずですが、横田さんご夫妻には全く伝えられていませんでした。昨年ご存じなかったことを知って、その警察OBの方に説明してもらいましたが、話していないのは未認定の家族だけかと思ったら認定した家族にも何も言っていなかったのかと、呆れて物が言えませんでした。

                       


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                      特定失踪者問題調査会ニュース

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                      112-0004東京都文京区後楽2-3-86松屋ビル301

                      Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059

                      email:chosakai@circus.ocn.ne.jp

                      調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp

                      発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は

                      kumoha351@nifty.com宛メールをお送り下さい)

                      ●カンパのご協力をくお願いします。

                      郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会

                      銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会

                      (銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はメールないしFAXにてご連絡願います)

                      ______________________________________________________


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                      00万筆を突破−家族会・救 う会1000万署名運動

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                        ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.08.02



                        900万筆を突破−家族会・救う会1000万署名運動

                         

                         家族会・救う会は、8月2日、本日までの署名数を、9,046,190筆と中間報告を発表した。1000万署名達成まであと約95万筆となった。


                         

                         家族会・救う会は、今年2月「1000万署名運動」を決定し、3月から運動を開始した。1997年家族会結成後署名活動が始まり、約15年で855万筆となっていたが、その後約半年で50万筆増加した。

                         

                         なお、次回は9月2日の国民大集会の場で、第2次集計結果を発表する。

                         

                         家族会から飯塚繁雄代表、増元照明事務局長、救う会から西岡力会長、平田隆太郎事務局長、山岸丈良事務局次長が参加した。

                         

                         記者会見の概要は以下の通り。

                         



                        ■900万筆を突破−家族会・救う会1000万署名運動

                         

                        飯塚 家族会が1997年に結成され、署名活動を開始した頃はなかなか国民の皆様に受け入れられなかった。しかし、世論を盛り上げ、政府を後押しする狙いがあり、苦労にもめげず続けてきた。

                         

                         今年2月の家族会・救う会合同会議で、1000万署名達成をめざすことを決定した。できれば(国民大集会を予定している)9月2日までに達成することをめざし、色々なところに要請した。

                         

                         100万単位の署名となると家族会・救う会の街頭署名活動だけでは数が足りず、組織活動をしないとまとまった数にならないので、UIゼンセン同盟などの組織にもお願いしている。UIゼンセン同盟は3年前から独自の署名活動を展開されている。

                         

                         今回は、署名用紙を新しいものに変え、その趣旨に賛同してくださる方にお願いしているので、何人と言わず、何筆としている。

                         

                         1000万署名になれば相当重い結果になる筈だ。政府を動かし、北朝鮮や諸外国に対し、解決まで戦う姿勢、メッセージを伝えることにつながると思う。

                         

                        増元 半年でこれだけ増えた。この数字を重く受け止めてほしい。これはまだ拉致問題が忘れられていないことの証明になる。

                         

                        西岡 救出のためには、必要条件と十分条件がある。必要条件は世論が解決を求め続けていることだ。国民が怒っている。1000万署名もそのためにやっている。

                         

                         十分条件は、北朝鮮が困って日本に接近せざるをえない状況を作ることだ。例えば今、制裁のために「マツタケ」が売れずに困っている。マツタケは日本人しか食べないのでほとんど日本に輸出されてきたが、昨年は闇市でたくさん出回っていたという。

                         



                        【質疑応答】

                         

                        問 来月で北朝鮮が拉致を認めて10年になるがその後の進展がないことについて。

                         

                        飯塚 こんなに何年もかかっていい筈がない。国民が拉致されたら、即取り返す対応をすべきで、それが世界の常識的判断だ。我々の思いだけでは拉致問題は解決しない。国は真剣に対応してくれたのだろうかとまず思う。

                         

                         いとしい家族が向こうで待っている。我々も毎日情報に耳を傾け、帰還につながる情報はないかと期待してきたが、北朝鮮が拉致を認めてもう10年になる。

                         

                         我々は被害者の家族に過ぎないので、専門的な情報、取り組み、担当者の考えなどは難しい面がありお願いするしかない。しかし、それがつながっていないのではないか。残念で、じれったい。

                         

                         だからといって、あきらめる問題ではない。一番待っているのは被害者だ。あらゆることをせざるをえない。

                         

                         松原大臣は、「家族が元気なうちに帰ってこないと解決とは言えない」、「時間との勝負」と言っているが、実際にどうしてきたのか、どうしようとしているのかは聞けない。秘密の対応もあるだろうが、政府は「やってます」と言うだけ。これは解決につながるという活動がないので精神的に苦しい。

                         

                        増元 家族会を作った時、1,2年で解決するだろうと思っていた。しかし3、なかなか世論に浸透せず、政府もあいまいな態度を続けた。2002年には、「8人死亡」、「解決済み」ということだったが、2年もすれば解決すると思った。しかしずるずると10年も経ってしまった。政府はこの反省をすべきではないか。

                         

                         我々は今年を、「勝負の年」と位置づけた。その意味を理解して動いているのだろうか。松原大臣が孤軍奮闘しているが、政府は、北朝鮮(の不誠実な対応)を打破する制裁を行うべきだ。話し合いをせざるをえない状況を作るために、さらに圧力を加えるべきだ。

                         

                        「死亡」とされたのを「生存」とするにはさらにエネルギーがいる。しかし、それを考えているとは思えない。この状況を8月中に打破してほしい。

                         

                        問 署名活動にこめる思いは。

                         

                        飯塚 政府が真剣に対応し、それが進んでいるなら期待するが、それが見られないとなると、あきらめるわけにはいかないので、世論をつかむことが大事だ。絶対に風化させないとの思いでやっている。

                         

                        増元 署名を集めてどうなるのとよく聞かれる。しかし、集めないと政府に訴える力にならない。集会に来てくれる方々はコアの部分の方々であるが、町を歩いている人は必ずしも理解していない方もおられるので、日本人が忘れてはならないことだということを訴えている。

                         

                        以上

                         

                        ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

                        ■野田首相にメール・葉書を首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。下記をクリックして、ご意見を送ってください。

                        [PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html

                        [携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

                         

                        葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿

                         

                        ■救う会全国協議会ニュース

                         

                        発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)

                        TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784  http://www.sukuukai.jp

                        担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)

                        112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905

                        カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会

                        みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎

                        ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆





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